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フットボールと人びと Arabic

アラビア語メディアのサッカー記事で読む中東地域の現在

スレイマーン選手の父親「立ち止まらないで」

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(写真:http://tishreen.news.sy/tishreen/public/read/282328より)

反政府武装組織の攻撃で死亡したユースフ・スレイマーン選手に関する記事の続報。同選手の父親へのインタビュー記事です。お読みいただくとすぐにおわかりと思いますが、政府系紙です。

記事を読むと、見えない圧力というか、息子を失った悲しみを率直に表現できない状況で生きていかねばならない息苦しさを感じてしまいますが、実際はどうなのでしょうか。

元記事

صحيفة تشرين • والد اللاعب الشهيد يوسف سليمان لـ«تشرين»: ربيته ليصبح لاعباً ومهندساً فكان ما أردت

 

 ティシュリーン

2013年3月12日

「アスリートのみなさん、立ち止まらないでください。なぜならそれが敵のねらいなのだから」
ティシュリーン紙のインタビュー

弔問のために設置されたテントには、犠牲となった選手の父親に哀悼の意を伝えるため、各地から弔問者がやってきた。シリアサッカー連盟を通して哀悼の意を伝える国際サッカー連盟ジョセフ・ブラッター会長をはじめ、関連職員、スポーツ選手らが参列した。その忌まわしい事件が複数の選手を襲い、国際的な選手だったユースフ・スレイマーンが犠牲となった。

われわれティシュリーン紙も全員弔問のため訪れた。ユースフ選手の父親マーリク・スレイマーン氏はわれわれを出迎え、感謝の言葉を述べた。そして、力強く偉大なアッラーが殉教者としてたった一人の息子を選んだことを讃えて、こう語った。
「アルハムドリッラー。息子を失ったことはショックですが、祖国は大切です。私は祖国のため息子を差し出しました。祖国は試練の中にあり、私はそれが克服されることを願っています。私の息子は祖国のために身を捧げた数千の若者なかの一人です」

■亡くなったときのこと

──どのような形で彼の殉教の知らせを受けたったのですか。

「亡くなったという知らせは息子のチームメイトから連絡がありました。それにテレビの報道で知りました。ナワーイルの選手たちも負傷したことを伝えていました。シリアリーグの試合のためスタジアムに到着して準備しているときの出来事だった。ミサイルが飛んできて、チームメイトの中から息子を殉教者に選んだのです」

──ユースフ選手はきょうだいの中でどのような存在でしたか。

「彼は私のたった一人の息子です。彼はサッカー選手でしたが、研究もあきらめていませんでした。サッカーと学問を両立していたのです。国際的な選手である、アブドゥル・ハーディー・ハワーシュ博士のようにね。息子はホムス農業公社の電気技師職員を経て、カラーマ・クラブでサッカー選手として成長し、シリアを代表する国際的なプロ選手となりました。そしてワスバ・クラブの一員として殉教したのです。祖国のために犠牲となったのです」

■サッカーに愛され、サッカーを愛した

──どうやって息子さんがサッカー好きであることがわかったのですか。

「私はもともとサッカーが好きで、カラーマのサポーターだったんです。(息子が子どもの頃からカラーマのメンバーとして出場する)試合を中毒のように見に行っていました。息子が選手として成長することができたカラーマの練習の送り迎えもしました。ジュニア年代の頃から息子のサッカーの才能に気がついていたんです。息子はチームの点取り屋で、チームメイトからも人気がありました。その後、国内リーグやアジアの大会で、カラーマの成人チームの主力としてプレーするようになりました。私は、息子がサッカーと研究を続けるために骨身を惜しあらゆることをしてきました」

──なぜワスバに移籍したのですか。

プロの世界では選手にはどんなクラブにも移籍する自由が与えられています。カラーマとの契約期間が終了したので、ホムス以外の町に移籍する気がなかったので、同じ町をホームとするワスバでプレーすることを選択したのです。(ワスバへの移籍は)うまくいっていました。ジャジーラ戦とショルタ戦で2ゴールを決めていましたし。しかし、アッラーがお命じになり、息子の最期は人間として、選手としての殉教でした」

──息子さんは何か特別な思い出を残していますか。

「息子は素晴らしい思い出を残してくれました。4か月になる孫娘です。1年半前このことは私を喜ばせました。息子の妻が素晴らしい果実を運んできてくれました。そして、息子の犠牲を悼んでくださっているすべての人に感謝しています。息子は私の息子だけでなく、ホムスの息子であり、シリア全体の息子でもあります」

──息子さんのチームメイトたちに伝えたいことがありますか。

「すべてのアスリートのみなさんにお願いしたいことがあります。みなさんの進む道を、止まることなく突き進んでください。みなさんを立ち止まらせることが、われわれの敵のねらいだからです。われわれの活動を麻痺させ、社会の活発さを停止させることをねらっているのです。アッラーのお許しがあるならば、勝利はわれわれ、われわれの指導部、そしてシリアのもとにあります」

■ユースフ・スレイマーン選手のプロフィール

・名前 ユースフ・スレイマーン
・ポジション センターフォワード
・背番号25
・国籍 アラブ、シリア
・生年月日 1986年9月17日
・出生地 ホムス
・身長 185センチ
・体重 72キロ
・クラブへの加入年 1997年
・デビュー戦 2003/2004シーズン、韓国で行われたアジアチャンピオンズリーグの全北戦
・プレーしたクラブ カラーマ、ワスバ
・国際試合数 25
・国際試合でのゴール数 7(学生代表チーム)

ワスバ・スポーツクラブはユースフ・スレイマーン選手の犠牲を悼み、10日間活動を停止し、弔問を受け付けた。

服喪のために設置されたテントには、大統領閣下列席のもと行われたアジアチャンピオンズリーグの試合の際、カラーマのチームメイトとともに大統領閣下を迎えたときに撮影された同選手の写真が掲示された。

カラーマ・クラブが弔問を欠席したことへの批判に対し、同クラブの幹部、アブドゥル・ハミード・ハサンは次にように反論している。「私はすでに個人的に弔問をすませている。またクラブの会長のイブラヒーム・オマル教授もダマスカスから父親に連絡を取りお悔やみを述べている。さらに、クラブ顧問のファワーズ・ハッジャ教授や監督のアブドゥル・カーディル・ラファーイー、元選手のファーリス・シャーヒーン、元幹部のシャーラーン・ライース、そして大勢の選手も父親にお悔やみを伝えている」